7月中続いた祇園祭は、31日に行なわれる八坂神社の末社・疫神社での夏越祓をもって、遂に終了します。夏越祓。6月末日にあちこちの神社で茅の輪くぐりが行なわれた、あれです。一ヶ月遅れなのは、旧暦にでも関係あるんでしょうか。
疫神社の祭神は、蘇民将来。お守りに書いてある「蘇民将来子孫也」の、蘇民将来です。八坂神社の元来の主祭神・牛頭天王とは浅からぬ縁があります。残された伝説は、大体こんな感じです・・・
「おう、俺、これから南の海へ女ひっかけに行くねん。せやけど今晩もう遅いやろ、ちょっと泊めてえや」。まるで千原せいじのようなラフさで頼みますが、相手は神、蘇民は貧乏なりにも手厚く牛頭天王をもてなしました。
天王はそれにいたく感動、めでたく女をひっかけ、その女にワル王子を8人も産ませたのち、改めて蘇民の家を訪れてこう言いました。
「あんな、ぶっちゃけ言うと、お前んとこ行く前にお前の弟んとこ、行ってん。巨旦将来とかいう奴。あいつ、めっちゃ感じ悪いやんけ。金持ってて家もデカいくせに『泊めるの、無理っす』とか抜かしよる。俺、神やぞ。ありえへん、絶対ありえへん」。
怒りを露にする牛頭天王。「俺、あいつ、ボコボコにしたる。一族まとめて、ボコボコにしたる。止められへん。この辺ちょっともう、ヤバいことなるで」。8人のワル王子たちも「マジ暴れたい」とか言いながら、壁に蹴りを入れてます。
震え上がった蘇民に「せやけどな、お前まで巻き添えにするの、可哀想や。守ったる。これ、持っとけ」と言い、天王は小さな茅の輪を渡しました。「これ持ってたら、俺の知り合いゆうことになるから、誰も何も手ぇ出せへん。お前の子供にも『蘇民将来の子孫です』ゆうように教えとけ」。
次の日、蘇民の住む村は、皆殺しの目にあいました。茅の輪を持つ、蘇民とその家族を除いて・・・
伝説ゆえ、意訳と誇張を若干交えましたが、大筋ではこんなところです、多分。「泊めてくれないから殺す」というのはあまりにもハードコア、厄病除けというより厄病神そのものという気さえしますが、それくらいパワフルな神でないと、昔の疫病には対峙できなかったんでしょう。
そんな荒々しい神の守護を祈願しながら茅の輪をくぐり、疫病除けを本義とする祇園祭は静かにその幕を下ろします。
牛頭天王 – wikipedia
蘇民将来 – wikipedia
八坂神社 – wikipedia