アメリカの思惑
ペリーの黒船来航は、日本を開国させた出来事としてよく知られています。しかし、その本当の狙いは、日本列島の3つの港をセットで手に入れることにありました。
3つの港とは、箱館・下田・琉球です。この3港がターゲットにされたことは、当時のアメリカの太平洋戦略と深く関わっています。
1850年代、世界は大きく揺れていました。フランスではルイ・ナポレオンが皇帝となり、積極的な対外政策を進めていました。
一方、ロシアは南下政策を強めており、イギリスは中国やインドの利権を守ろうとしていました。
この緊張が爆発したのが、1853年から始まったクリミア戦争です。
このように列強同士の争いが激化する中、アメリカは独自の道を歩み始めます。
補給地を求めて
アメリカは19世紀前半に西へ西へと領土を広げ、北部では工業化が進み、南部では奴隷制農業が広がります。1840年代末には太平洋岸に到達し、新たな市場を求めざるを得なくなったのです。
特に急成長したのが捕鯨産業です。鯨油は機械の潤滑油として欠かせず、需要が爆発的に増えました。
しかし太平洋での捕鯨を拡大するには、補給基地が必要です。
中国市場もアメリカにとって重要でした。しかし中国の主要港はすでにイギリスやフランスが押さえており、後発のアメリカは不利な立場にあったのです。
そこで目を付けたのが、日本列島です。日本を中継地にすれば、中国へのアクセスが容易になります。
また、太平洋航路の短縮も大きな魅力でした。大西洋経由では中国へ行くのに130日かかるのに対し、太平洋経由なら約1/7の時間で済みます。
アラスカから北太平洋を下る捕鯨ルートの中間地点としても、日本は最適でした。
こうした理由により、ペリーは単なる開国ではなく寄港地と補給地の確保を狙っていたのです。
