日本ではこれまで、男子の皇位継承者がいない、または女性が皇位継承の適任者と認められたなどの理由で、10代8人の女性天皇が即位してきました。
今回は、現在、日本の歴史上最後となっている女帝、第117代・後桜町天皇(ごさくらまちてんのう)に注目してみたいと思います。
後桜町天皇の在位期間は1762年(宝暦12年)~1771年(明和8年)。大河ドラマ「べらぼう」で描かれている、蔦屋重三郎が出版業を営んでいた期間はだいたい1760年代後半〜1790年代頃なので、実は後桜町天皇の在位期間と重なっています。
後述しますが、後桜町天皇は後に後桃園天皇へ皇位を譲りますが、上皇となった後も天皇を支え続けました。『べらぼう』でも描かれた「天明の大飢饉」の際には民衆のために働きかけた逸話も残っています。
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第117代・後桜町天皇
第117代天皇・後桜町天皇は、第115代天皇である桜町天皇の第2皇女として元文5(1740)年に誕生しました。異母弟に第116代桃園天皇がいましたが、桃園天皇は宝暦12(1762)年、22歳の若さで亡くなってしまいます。
桃園天皇には皇子である英仁親王(後の後桃園天皇)がいましたが、このときまだ5歳でした。この頃は、摂関家が天皇と対立した「宝暦事件」が起こるなど、政治的な混乱が起こっていた時期でした。
そういった時代背景もあり、中立的な立場でなおかつ英仁親王と血縁の近い天皇を・・・ということで白羽の矢が立ったのが、英仁親王の伯母(おば)である智子(としこ)内親王・後の後桜町天皇だったのです。
後桜町天皇の即位式は、新調された白の礼服を着用の上、男性の天皇と同様に行われました。礼服は、最初は宮中の内蔵寮(くらりょう)に保存されていた女帝の衣装を運び出したものの、着ることができなかったようです。というのも運び出された衣装は、奈良時代の孝謙天皇の即位式で着用されたと思われるもの。
後桜町天皇の前の女帝・明正天皇は即位時8歳の「幼女帝」だったので、その衣装を大人である後桜町天皇が着ることはできなかったのですが、かといって奈良時代の衣装を江戸時代に着ることも無理で、結局新調されたようですね。
