先生と 呼ばれるほどの 馬鹿でなし(川柳)……とは誰が詠んだか。
教師や医者などの専門家ならともかく、選挙で票を集めた「ただの人」である政治家が先生などとは片腹痛いものです。
呼ぶ方は権力者のご機嫌をとる処世術と目をつぶっても、呼ばれてご機嫌になっている政治家センセイ等は目も当てられません。
かの福沢諭吉もそのように思っていたようで、今回はとある代議士センセイ(国会議員)とのエピソードを紹介したいと思います。
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上京してきた代議士センセイ
今は昔し、愛知県から選出された加藤六蔵(ろくぞう)という新人代議士が上京して、諭吉を訪ねて来ました。
用件は何だったのか、おおかた著名人に対する挨拶回り程度の認識でしょう。
「愛知選出の加藤でございます。福沢様におかれましては、今後ご指導ご鞭撻いただけますよう……」
なんてしおらしい態度はそこそこに、初当選の喜びと、立身出世を果たした興奮を語り出したのかも知れません。
そんな話を愛想笑いで聴き続けるほど暇ではない。諭吉は笑って言いました。
「実にめでたい限りですな。せっかくですから、ひとつお祝いの詩など献じましょう」
諭吉自ら筆をとり、自分のために詩を詠んでくれるとは……いただいたら方々へ自慢してやろうと六蔵は喜んだことでしょう。
アホウの頂上、議員(センセイ)となす
……で、詠まれた狂詩がこちら。
道楽発端称有志
阿呆頂上為議員
売尽伝来田畑去
貰得一年八百金
【読み】
道楽の発端、有志に称す。
阿呆(アホウ)の頂上、議員と為(な)す。
伝来の田畑を売り尽くして去り、
貰い得たり、一年八百金。
【意訳】
道楽に手を染める時は、たいてい志を言い訳にするものだ。
そんなアホウの頂点こそが、政治家と言えるだろう。
選挙資金を捻出するために、先祖伝来の田畑を売り尽くしてしまったのか?
その代償が、年収800円ばかりとは笑えない。
……さすが諭吉らしい皮肉ですね。全員がそうとは言えないものの、そういう手合いは少なからずいるでしょう。
果たして、これを読んだ六蔵のリアクションが気になります。
皮肉に怒り出したか、あるいは戒めとして承ったか、それとも言い得て妙だと笑っていたら前途有望かも知れません。
