大河『豊臣兄弟!』に登場か?豊臣家の影に生き忠義に命を捧げた武将・河尻秀長の生涯 【前編】

湯本泰隆

豊臣家の影に生き忠義に殉じた武将

教科書にはあまり登場しませんが、戦国の舞台裏で確かな存在感を発揮した武将がいます。それが、河尻秀長(かわじりひでなが)です。

豊臣秀吉に仕え、戦でも政治でも着実に力を発揮しました。目立つタイプではありませんが、豊臣政権を支えるうえで、彼のような人物の存在は欠かせなかったと言えるでしょう。

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父親の死、そして豊臣政権への道

秀長は、織田信長の家臣・河尻秀隆の息子として生まれました。父の秀隆は甲斐国(現在の山梨県)を任されるほど信長から信頼されていた人物でした。

しかし1582年、本能寺の変が起き、情勢が一変します。甲斐では旧武田家の家臣たちが蜂起し、秀隆はその混乱に巻き込まれて命を落としました。

家を継いだ秀長でしたが、父の遺領のほとんどは失われ、武将としての立場は不安定なものでした。そんなとき、石田三成の推薦によって豊臣秀吉に仕えることとなります。ここから、彼の新たな戦国人生が始まりました。

小牧・長久手の戦いで評価される

1584年、小牧・長久手の戦いにおいて、秀長は100人の兵を率いて出陣し、秀吉本陣の守備を任されました。福島正則や加藤清正とともに後方を守っていたことから、すでに秀吉からの信頼を得ていたことがうかがえます。

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戦後、秀長は近江から摂津に転じ、太田郡で3,000石を与えられるという大抜擢を受けました。その後は、京都の方広寺に大仏を建立する事業にも奉行として関わり、政治や文化の面でも活躍の場を広げていきました。

3ページ目 秀吉の九州征伐に150人の兵を率いて従軍

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