2025年大河ドラマ「べらぼう」田安宗武の正室・近衛通子(花總まり)とはどんな女性だったのか?

令和7年(2025年)NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華之夢噺~」今から楽しみですね!

本作では、後世「江戸のメディア王」と謳われる蔦重こと蔦屋重三郎の生涯を、横浜流星が熱演します。

また多くの人々が登場・活躍するのも本作のみどころ。

今回はそんな一人・近衛通子(このゑ みちこ)を紹介。花總まりが演じる生涯を、予習したいと思います。

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田安宗武と結婚、7人の子を授かるが……。

近衛通子は享保6年(1721年)、近衛家久の娘として誕生しました。

初名は知姫(とも)。のちに森姫(もり)、通姫(みち。通子)と改名しています。

13歳となった享保18年(1733年)に江戸城二ノ丸へ入り、享保20年(1735年)に5歳年長の田安宗武(たやす むねたけ)と結婚。当時15歳でその正室となりました。

田安宗武は8代将軍・徳川吉宗(よしむね)の次男で、御三卿の一角をなす田安家の初代当主です。

宗武との間には7人の子を授かっており、夫婦仲は円満だったと言えるでしょう。

【近衛通子と田安宗武の子供たち】

※名前の読みは諸説あります。
※長女、次女などは宗武から見た間柄です。

こうして見ると、軒並み夭折しており、7人中20歳以上まで生きたのは3人。還暦を迎えられた(そして母親より長く生きた)のは、末娘の節姫だけでした。

やがて明和8年(1771年)6月4日に宗武が亡くなると落飾し、宝蓮院(または法蓮院)と号します。

安永3年(1774年)に徳川治察が亡くなり、実子がいないため空席となった田安家の家督を代行し、女性当主として余生をまっとうしました。

そして天明6年(1786年)1月12日に66歳で世を去り、寛永寺凌雲院に葬られたということです。

田安家の家督は一橋家(御三卿の一家)から徳川斉匡(なりまさ)を養子に迎えたことで、後世へと受け継がれました。

2ページ目 近衛通子の略年表

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