いつの時代も権利の主張がぶつかり合い、いがみ合った果てに訴訟まで発展してしまうケースは少なくありません。
しかし「訴えてやる!」と威勢よく言ったはよいものの、いざ訴訟を起こすとなると、費やされるコストや労力の大きさにうんざりさせられるはずです。
うんざりは訴えられた側にしても同じことで、さらにそれぞれの利害関係者を巻き込んだ大騒動となるケースも少なくありません。
特に小さな地域コミュニティでは分断や対立さえ生みかねず、社会機能が正常に機能しなくなるリスクすら孕んでしまうでしょう。
鎌倉時代でも各地で訴訟が頻発しており、幕府当局も頭を悩ませていました。
そこで今回は、鎌倉幕府がとった訴訟の濫発対策を紹介したいと思います。
諸國の民間に訴訟の出で來たるにおいては……『吾妻鏡』の記述
諸國民間訴訟於出來者。西収以前。召符不可下之旨。今日政所問注所等被仰云云。
※『吾妻鏡』建長3年(1251年)7月大20日戊寅
【読み】諸國民間(しょこくのみんかんにて)訴訟於出來者(そしょうのいできたるにおいては)。西収以前(さいしゅういぜん)。召符不可下之旨(しょうふをくだすべからざるのむね)。今日政所問注所等被仰云云(こんじつまんどころ、もんじゅうじょなどへ、おおせらるるとうんぬん)。
【意訳】今後諸国で民間人が訴訟を起こした場合、西収の時期より前に召符を発送してはならない。そのことを、政所や問注所など関係各所へ指示したそうな。
【用語解説】
- 西収(さいしゅう)とは:
収穫のこと。東耕(とうこう。耕すこと、転じて収穫より前の農作業全般)と一対に東耕西収と言います。
なぜ東西なのかは定説がないものの、太陽が東から出る≒始まりと、太陽が西へ沈む≒終わりを当てはめたのでしょう。 - 召符(しょうふ)とは:
訴訟を受けた当局が原告人と被告人を法廷に召し出すための書状。召符を送るとは、すなわち訴訟の開始を意味しました。
だから先ほどの記述は「民間で訴えがあっても、収穫が終わるより前に訴訟を開始してはならない」という趣旨です。