三英傑が同地域出身なのは必然!?なぜ戦国時代の覇者はそろって「東海地方」から生まれたのか?

信長・秀吉・家康の系譜

まず、戦国時代を天下統一へと推し進めていった、おなじみの三人の武将についておさらいしてみましょう。

相対的には戦国大名の中では間違いなく実力ナンバーワンであり、それまでの戦国大名が成し遂げられなかった広大な版図を手中に収めて戦国の覇者となった織田信長

信長は革新的な戦術や鉄砲の導入などで戦場を席巻し、天下統一への布石を打ちました。例えば、桶狭間の戦いでは少数の兵力で今川義元を打ち破るなど、驚異的な戦果を上げました。

そして、その後を継いで天下統一を成し遂げたのが豊臣秀吉です。

秀吉は、農民から身を起こし、驚異的な出世を果たしました。秀吉は兵農分離を進めるとともに、刀狩りや検地を実施して領地支配を確立しました。

その死後、豊臣家を滅ぼして太平の世への足掛かりを作ったのが徳川家康です。家康は、関ヶ原の戦いで石田三成らを破り、江戸幕府を開くことで約260年続く平和な時代、江戸時代の礎を築きました。

ここまでは日本史好きの人には言うまでもない情報ですが、ここでクエスチョンです。

この、戦国の三英傑とも呼ばれる三人は、生まれたときの身分も性格もまるで異なりますが、唯一の共通点は、今でいう東海地方の出身であることです。

なぜ、この地方の出身者だけが天下をとれたのでしょうか?

4ページ目 なぜ上杉・島津は天下統一に手が届かなかったか

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