道長が世を去り、嵐(戦乱の世)が来る…大河ドラマ『光る君へ』最終回(12月15日)放送の振り返り

藤原道長(柄本佑)の死によって再び世が乱れ、嵐(武士の世)が来ることを予見したまひろ(吉高由里子)。颯爽と駆け去っていく双寿丸(伊藤健太郎)らの後ろ姿が印象的でした。

……令和6年(2024年)NHK大河ドラマ「光る君へ」もついに終わってしまいましたね。平安時代の人々をもっと観ていたかったのですが、残念でなりません。

色々思う所はありましたが、最終回放送「物語の先へ」も気になるトピックを振り返っていきましょう!

最終回放送「物語の先へ」関連略年表

寛仁3年(1019年)まひろ50歳/道長54歳

寛仁4年(1020年)まひろ51歳/道長55歳

万寿2年(1025年)まひろ56歳/道長60歳

万寿3年(1026年)まひろ57歳/道長61歳

万寿4年(1027年)まひろ58歳/道長62歳

長元元年(1028年)まひろ59歳/道長死後

長元年間(1028~1037年)まひろ59~68歳

予想通り、最終回は一気にすっ飛ばしましたね。

藤原顕光(宮川一朗太)の引退や藤原彰子(見上愛)の成長、そして身近な者たちの死などが一気に詰め込まれた印象です。

まひろのモデルになった藤式部(紫式部)については、とっくに亡くなっている可能性もあるため、劇中のエピソードはほぼフィクションと思って構いません。

フィクションと言えば、源倫子(黒木華)の振舞いを見て、不倫に対する怒りを新たにしました。

当時は婚外性交渉がどのくらい当たり前だったかはさておき、妾になる(正室の許可が必要なら許可を求める)など筋の通し方はあるはずです。

しかし当の倫子が胸に収めた以上、これより言うことはありません。

道長の闘病記録

万寿4年(1027年)12月4日に道長は世を去りましたが、劇中では何だか穏やかな感じでした。

実際はどんな感じだったのか、ここでは藤原実資『小右記』などから、道長の闘病記録を見てみましょう。

かねてから道長は、飲水の病(糖尿病)で昏倒したり目が見えなくなっていたりしていました。

汚穢(おわい)とは文字通りケガレのことで、ここでは排泄物等を指します。

11月10日に汚穢があってから、沐浴したのは2日後。その間さぞ気持ち悪かったでしょうが、そんな余裕さえなかったようです。

娘たちが見舞いに来ても面会謝絶、いよいよお迎えも近くなり、自ら建立した法成寺に移動しました。

そして背中の腫れ物を手術したものの、苦悶の末に世を去ります。

6ページ目 怨霊となった藤原顕光

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