「ねぇ、いつになったら奥さんと離婚してくれるの?」
「もう少しだよ、僕を信じて……」
幸いにもそんな場面に遭遇したことはありませんが、不倫相手の伴侶は、思いを遂げる上で最大の障壁と言えるでしょう。
しかしその伴侶さえいなくなれば、もう怖いものなど(あんまり)ありません。
フリーとなった相手に向かってまっしぐら……そんな手合いは今も昔も変わらぬものです。
という訳で今回は、兄の死をキッカケに未亡人となった兄嫁へ猛烈にアプローチした藤原惟貞(これさだ)のエピソードを紹介したいと思います。
兄嫁の伝手で一族は繁栄
藤原惟貞は生年不詳、藤原文信(のりあきら)の次男として生まれました。
異母兄に嫡男の藤原惟風(これかぜ)、弟に藤原惟忠(これただ)、そして妹(源奉職室)がいます(それぞれ母親は不詳)。
※藤原惟房(これふさ。惟風の子?)も弟とする説もあるそうです。
兄の藤原惟風は若いころから武官を歴任、藤原道長の家司として仕えました。
惟風の妻である藤原高子(こうし/たかこ)は道長次女・藤原妍子(けんし/きよこ)の乳母を務めます。
やがて妍子が居貞親王(いやさだ。のち三条天皇)に入内し、やがて居貞親王が皇位を継承すると、高子の伝手で惟風一族は大いに出世しました。
惟風らの栄華は主君の道長すら驚き怪しむほどで、惟貞も兄の恩恵に与っています。
しかし兄が長和3年(1014年)ごろに急死。死因ははっきりしないものの、三条天皇にとりこまれてしまった家司を道長が粛清したのかも知れません。
【光る君へ】藤原道長の家司を務めた藤原惟風とはどんな人物?その生涯をたどる
平安時代、娘を次々と入内させたことで皇室の外戚となり、権力の絶頂を極めた藤原道長。彼の偉業は彼一人で成し遂げたものではなく、その陰には多くの者たちが力を尽くして仕えていました。今回はそ…