影が薄い室町時代
室町時代といえば、足利尊氏が京都室町に幕府を開いたときから、第15代将軍・義昭が織田信長に追放されるまでの約240年間を指します。
後半は幕府の力が弱まり、各地でいざこざも起きていたので、室町時代後期などというよりも戦国時代といったほうがイメージしやすいでしょう。
このように、室町時代といえば足利尊氏や足利義満などのビッグネームが有名な程度で、「鎌倉時代から戦国時代への橋渡し」程度に認識している人も多いと思います。
日本史を学ぶ上でもどことなく影が薄い室町時代。しかしそれは今に始まったことではなく、実際のところ室町幕府は、幕府があった当時から影の薄い存在でした。
そのことを如実に物語るのが、当時の貨幣経済の状況です。
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中国貨幣の「永楽銭」が流通していた
この時代は、物々交換から貨幣中心の経済に変わっていった時代で、経済史的には非常に重要な時期とされています。
経済の発達と異文化の輸入によって、庶民の日常生活や食生活においてさまざまな発明品が生まれました。例えば和菓子などのルーツをたどると、この時代に起源が求められるものなどが結構あります。
にもかかわらず、なぜか当時の室町幕府は、国内で流通させるための自前の貨幣を造りませんでした。実際に市場で流通していたのは、中国から輸入した渡来銭だったのです。
もっとも多く流通していたのは、明の永楽帝時代に鋳造が開始された永楽通宝で、これが日本の標準通貨になっていました。また、私鋳銭という私的に造られた貨幣も堂々と出回っていました。
外国貨幣や私的な貨幣が経済を動かしていては、経済の核心を握ることができません。また、そのため幕府の権威が落ちるのも当然でしょう。
それなのに、なぜ室町幕府は貨幣を造ろうとしなかったのでしょうか。これは造らなかったのではなく、造れなかったというのが正しい言い方です。
貨幣にする銅や鋳造技術がなかったのではなく、幕府に信用がなかったため、造れなかったのです。