西行と兼好
日本史上「世捨て人」として有名なのは、やはり西行と吉田兼好の二人でしょう。
一応簡単に説明しておくと、西行法師は俗名は佐藤義清。鳥羽上皇にも仕えた北面の武士であり、武術だけでなく和歌にも長けており崇徳上皇とも親交があった人物です。
彼は23歳の時に妻子を捨てて出家し「円位」と名のり、後に「西行」と称しました。『新古今集』に九四首の歌を残しています。
また吉田兼好は、随筆文学の傑作とされる、言わずと知れた『徒然草』を著した中世の歌人であり思想家でもある人物です。 その深遠な思想や人生観、そして美しい文章は今なお多くの人々を魅了しています。
どうやって生計を立てていた?
この二人はともに日本文学史上に残る人物ですが、共通点はそれだけではありません。
先述の通り、西行は鳥羽上皇に仕える北面の武士でしたが23歳にして出家しています。実は一方の兼好も一度は後二条天皇に仕えていますが、30歳でやはり出家。どちらも同じような経歴を経て、世俗を捨てた隠者になった人なのです。
ところで、世捨て人とか隠者などと言われると、どのような人物像が浮かぶでしょうか。多くの人は山奥にこもって晴耕雨読、誰とも関わりを持たずに生きているようなイメージが浮かぶことでしょう。
しかし、世を捨てたといっても、人は生きている以上、食べていかなければなりません。一体、この二人はどうやって生計を立てていたのでしょうか。
二人とも優れた文筆家なので、現代なら原稿料や印税で食べていくこともできたかも知れません。しかし当時はもちろん出版社などない時代です。
よって偉大な文学者であっても、貧しく哀れな生活をしていたのでは……と思う人もいるかも知れませんが、実はそんなことはありません……。