「富本銭」の発見
「日本最古の貨幣は和同開珎」と学校で教わった人もいると思いますが、現在はそうは教えていません。1999年に、和同開珎よりも古いと見られる銅銭が発見されたからです。
この銅銭のことを「富本銭」と呼びます。
和同開珎の鋳造が始まったのは708年(和銅元)ですが、富本銭が発見されたのは600年代の地層でした。そこで、この発見は歴史の教科書を塗り替える大発見となりました。
とはいえ、それまで歴史学者が富本銭の存在をまったく知らなかったわけではありません。7世紀に銅銭が存在していたことは『日本書紀』にも記されていますし、実際、1985年には平城京跡で富本銭が発見されていました。
にもかかわらず、和同開珎が最古の貨幣とされてきたのは、富本銭が「最古」のものだという決定的な物証がなかったからです。
それが、新たに600年代の地層から発見されたことで、和同開珎よりも古いことが証明されたわけです。
富本銭と和同開珎の使い道
ところで、7~8世紀といえば、依然として物々交換の時代でした。つまり、貨幣など使わなくても暮らしていけた時代だったのです。
そんな時代に、富本銭や和同開珎などの貨幣は何に使われていたのでしょうか。
和同開珎の用途は明らかになっており、これは平城京を造営するための給料として造幣され、労働者たちに支払われました。
都の造営には多くの人手が必要で、和同開珎はその給金を支払うために造られたのです。
一方、富本銭はどうかというと、和同開珎ほどはっきりとは分かっていません。おそらくこれも同様に、一時代前の藤原京の造営のための給金として造られたのではないかと考えられている程度です。
いわば、どちらも公共事業用の貨幣だったと考えられているのです。古代の貨幣は、国民を公共事業に駆り出すために鋳造されたのかも知れません。