現在の「都会」といえば間違いなく一番に挙がるのが東京。そして江戸時代の「都会」は江戸でした。昔の江戸がそっくりそのまま東京になったと思っている方もいらっしゃる事でしょう。
しかし実は江戸と東京の範囲は異なっていました。
江戸とは
江戸というのはもともと、関ヶ原の戦いの10年前に、徳川家康が豊臣秀吉によって左遷された田舎でした。当時の都は京都、そして豊臣の本拠地大阪でしたからね。
それに引き換え江戸は人もまばらで、「こんなところに住むの嫌だぁー!」と家康でも逃げ出したくなるようなズブズブの湿地帯だったのだとか。そこを何十年もかけて埋め立て、インフラを整え、町を作って行ったのです。
江戸を大まかにみると、江戸城背面の台地の一帯である「山の手」、江戸城前面に広がる埋立地「下町」に分けられます。ではこの「江戸」とはいったいどこからどこまでをいうのでしょうか。
もともと狭かった江戸
江戸時代の初期、寛永年間(1624〜1645)の地図を確認すると、江戸の範囲は現在の千代田区の東半分、中央区、港区の増上寺あたりまで。もともと江戸は約2里(7.8km)四方でしかなく、狭かったのです。
したがって今この範囲に住んでいる方は、自分の住まいは元祖江戸だと胸を張って言えそうです。しかし250年の江戸時代の歴史の中で、どんどん江戸は広がってゆきます。