平安時代の官人たちは、心身が穢れ(ケガレ)てしまうと、周囲に伝染させぬように一定期間の謹慎を余儀なくされました。
中にはそれを悪用して、サボりの口実にする者も少なくなかったようです。
今回はケガレを理由にサボろうとした下級官人と、それに呆れる藤原実資のエピソードを紹介したいと思います。
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刑部少輔・源相奉の憂鬱
時は治安2年(1022年)4月。刑部少輔(ぎょうぶのしょうゆう)を務めていた源相奉(みなもとの すけとも)は、賀茂斎院(かものさいいん)の御禊(ぎょけい)に供奉することとなりました。
賀茂斎院とは賀茂神社(現代の上賀茂神社、下鴨神社)に奉仕する皇女。その神事にスタッフ・前駆(さきがけ。先導役)として抜擢されたのです。
現代の感覚なら大変な栄誉を喜ぶでしょうが、相奉は何とも気乗りがしません。
だってそりゃアナタ、つつがなく務めたところで出世できるわけではないし、給与だって満足に出るわけでもないのです。
それでいて失敗すればしっかり減点、笑いものにされるとなれば、誰がやる気を出すでしょうか。
何とかお役目を逃れる手段はないものか……相奉は悪知恵を巡らせるのでした。
「お灸を据えたら火傷しちゃって……」
で、考えた策(サボりの言い訳)がこちら。
「あの~、すみません。お役目を果たそうと張り切ってお灸を据えたら、火傷の傷口が爛(ただ)れちゃいました~」
火傷の水ぶくれが破れて滲んだ体液は血と同じくケガレとされます。
「神聖な儀式をケガレさせちゃまずいので、今回はお休みするしかありませんね。あぁ~残念です~(棒)」
相奉の言い分が事実であれば、確かにケガレではありますが……こんな言い分を認めていたら、当日誰もいなくなってしまいかねません。
申告を受けた関白・藤原頼通は、藤原実資に相奉の傷口を確認させるよう命じます。
「承知いたしました」
さっそく実資は使部(つかいべ、しぶ)を相奉の元へ派遣しました。しかし相奉は素直に従いません。
「使部なんかじゃ話になりません。明日にでも参上し、実資様に直接的ご確認いただくようにしましょう」
とまぁ、どうにも傷口を見せてくれないので、仕方なく使部は帰って実資に報告します。