徳川家は明治維新後どうなった?将軍・徳川慶喜に代わり、わずか4歳で徳川家を継いだ「徳川家達」とは

湯本泰隆

1867(慶応3)年10月14日、征夷大将軍・徳川慶喜が朝廷へ政権を移譲(大政奉還)したことにより、260年余にわたって続いてきた徳川政権が終わりを告げました。

日本が近代国家へと変貌を遂げた第一歩「大政奉還」がなされた背景とは!?【幕末をわかりやすく】

わかりにくい幕末をわかりやすく解説。前回の「ペリーの浦賀来航」についての記事はこちらからどうぞ。[insert_post id=190364]1867年10月、最後の15代将軍となった徳川慶喜…

では、その後、徳川将軍家(宗家)はどうなったのでしょうか。

15代将軍・徳川慶喜の跡を継いだのは、徳川家達(とくがわいえさと)です。

徳川宗家第16代・徳川家達

家達は慶喜の実の子ではなく、分家である御三卿のうち田安家の出身。本名は田安亀之助。家達が徳川宗家を相続したのは大政奉還の翌年1868(慶応4)年閏4月のことで、このときは家達はわずか四歳でした。

幼少期の家達

徳川宗家の後継に関して、慶喜は紀州藩主・徳川茂承を推したのですが、静寛院宮(和宮)らが亀之助を強く推したため、彼で決定しました。同年5月には駿河府中(駿府)藩70万石を下賜され、1869(明治2)年の版籍奉還によって静岡藩知事に任命されました。

将軍職を失った徳川宗家は静岡藩の藩主として、存続していきました。

1871(明治4)年7月、廃藩置県が断行され、華族の身分を保証された家達は東京へ移住。6年後にはイギリスへ留学し、1882(明治15)年に帰国した後は公爵の身分を授けられ、1890(明治23)年10月には貴族院議員となっています。

3ページ目 実は首相への就任要請もあった家達

次のページ

この記事の画像一覧

シェアする

モバイルバージョンを終了