決定権がなかったマッカーサー
戦前の日本では、天皇は元首であると同時に軍部を統率する立場にありました。
そのため、天皇は終戦後に戦争責任を問われる可能性がありました。事実、ソ連やイギリス、アメリカは厳罰を主張しています。
そんな状況をくつがえしたとされてきたのが、日本の占領政策の責任者となった連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官のダグラス・マッカーサーです。
終戦後の1945年9月2日、マッカーサーはアメリカ大使館で昭和天皇と初めて会談しました。このとき、昭和天皇が「戦争の全責任は自分にある」と発言したことに、マッカーサーは心を打たれたといいます。
そこで彼は、戦争犯罪者を裁く東京裁判で天皇を起訴しないことを決定しました。翌年1月には陸軍参謀総長アイゼンハワー元帥へ不起訴が妥当だと打電しています。
こうしてマッカーサーの温情のおかげで、天皇制は存続したかのようにいわれることがあります。
しかし、上記のストーリーは史実ではないとして、現在は否定されています。
確かに、会談でマッカーサーが昭和天皇に好感を抱いたのは事実だと言われています。しかし、そもそもGHQはポツダム宣言に基づいた占領政策を日本政府に実施させる機関であり、マッカーサーに国家元首の起訴・不起訴を独断で決める権限はありませんでした。
では、その権限は誰が持っていて、誰が昭和天皇の不起訴と天皇制の存続を決めたのでしょうか。