「倭国の王」卑弥呼
3世紀半ばの日本に君臨した、女王にして巫女。それが卑弥呼です。邪馬台国の名前とセットで覚えている人も多いでしょう。高校の日本史教科書にも、卑弥呼は邪馬台国の女王として記されています。
しかし実は、卑弥呼が邪馬台国の女王だったことを示す、信頼性のある史料は存在しません。
彼女の人物像は、あくまでも3世紀末頃の中国で書かれた魏志倭人伝など中国の史料に基づいています。それを要約すると以下のとおりです。
倭国(日本)では、男子の王の時代が80年ほど経つと、大規模な内乱が起きた。せめぎあいは8年前後にもわたった。そこで、女性の王を共立して立てることが決まる。選ばれたのが卑弥呼だ。結果、戦乱はようやく収束を迎えることができた——。
魏志倭人伝のこの下りをよく読むと、卑弥呼は邪馬台国の女王ではなく倭国の王だと記されています。同書の他の箇所でも、実は卑弥呼=倭国の王としてしか描かれていません。
例えば、中国北部を支配していた魏は、238年(239年説もあり)に卑弥呼へ親魏倭王の称号を与えています。また詔勅にも倭国女王卑弥呼と記しています。
さらに倭国と狗奴国(倭国南部にあったとされる国)の不仲を伝える記録でも、卑弥呼を倭国の女王として扱っているのです。