日本と昔から交流のある国、タイ。以前はシャムと呼ばれていたタイでリゴールという一地方の王になるという大出世を果たした人物が江戸時代にいました。
その者の名前は山田長政(やまだながまさ)で、タイに行く前は駕籠を担いで人を運ぶ駕籠者をしていました。
今回はタイで出世した異例の駕籠者、山田長政のタイでのサクセスストーリーに焦点を当ててみたいと思います。
駕籠者からアユタヤ日本人町のリーダーへ出世
長政は1590年に駿河国で生まれました。沼津藩に仕えて駕籠者をしていた長政は武士の身分ではありましたが末端の身分でした。
長政は武士として戦に出陣し、出世できるチャンスがあるかと思いましたが、時代は徳川家が治める江戸時代。
泰平の時代となった今では武士の活躍はあまりありませんでした。
そこで、日本ではなくて海外なら武士として活躍できるチャンスがあるのではと思った長政は1612年の朱印船に乗り、タイへ向かいます。
タイの国際都市アユタヤに着くと現地にいた日本人傭兵隊に加わります。
当時のタイはビルマ(現ミャンマー)との戦の真っ最中で多くの戦を生き抜いた日本人傭兵が勝利の要となっておりました。
ビルマの他にアユタヤ港を攻めてきたスペイン艦隊を2度も退けた長政は日本人傭兵隊の指揮を任され、当時の王ソンタムから重用されるようになりました。
また、貿易商としても活躍し各国との経済戦争に打ち勝ちアユタヤでの貿易を一手に引き受けるくらいまで発展させます。
その勢いは世界最大とも言われる東インド会社を撤退させてしまうくらいでした。
このような功績が認められ長政は元和7年(1621)に日本人町の頭領になり、老中、土井利勝と本多正純を介して日本とタイ(当時はシャム)の国交に尽力しました。