藤原宣孝と言えば紫式部の夫として有名ですが、彼女と結婚する前から既に三人の妻がいました。
その一人に平季明女(すえあきらのむすめ)がおり、彼女との間には次男・藤原頼宣(よりのぶ)をもうけています。
この藤原頼宣とはどんな人物なのか、今回は『尊卑分脈』を見てみたいと思います。
妻と五人の息子たち
藤原頼宣は生没年不詳。従四位下・陸奥守にまで昇りました。
正室として平重義女(しげよしのむすめ)を迎えたことが分かっています。
彼女との間に男児2人を授かった他、男児3人の合計5人の子供に恵まれました。
【藤原頼宣の子供たち】
長男・藤原頼輔(よりすけ。従五位下・散位)
次男・藤原輔家(すけいえ。雅楽助)
三男・藤原家房(いえふさ。春宮帯刀長)
四男・定真(じょうしん。大僧都)
五男・頼暹(らいせん。山阿)
※官職等表記は『尊卑分脈』より
このうち頼輔と輔家は重義女が生んだ嫡男です。また定真と頼暹については出家しています。家房らについてはそれぞれ母親が違うのか、同じなのかは分かりません。
あくまで仮説の域を出ませんが、五男の頼暹は「頼」の通字から嫡男なのではないでしょうか。何かしらの事情で出家させたのかも知れませんね。
また次男の輔「家」と三男の「家」房も気になるところですが、もし同母兄弟ならそう明記しそうなものです。
四男の定真については兄弟の中でも浮いている印象ですが、大僧都にまで昇り詰めており、孤高の徳を感じます。