古来「一方(いっぽう)聞いて沙汰(さた)するな」とはよく言ったもので、揉めごとの多くは双方とも(三人以上なら争っているすべての者)にそれぞれ言い分があるものです。
だから片方(あるいは特定の者だけ)の意見を聞いて、ことの是非を決めつけると、判断を誤ることになりかねません。
そんな道理はいつの時代も変わらないもので、鎌倉時代の御家人・北条重時(しげとき。義時三男)も息子たちに教訓を残していました。
今回は重時の教訓集『六波羅殿御家訓(ろくはらどのごかくん)』より、揉めごとを仲裁する心得を紹介したいと思います。
※『六波羅殿御家訓』について
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人の過を讒言する者あらんに……
一 人の過(とが)を讒言(ざんげん)する者あらんに、其(それ)を聞て、無左右(そうなく)成敗する事努々(ゆめゆめ)あるへからす、何に不思議に思とも、能(よく)心を静て、今一方に、是により猶道理やあるらんと思ひて、両方を聞合せて、是非に付て成敗すへし、全く親疎によるへからす、たヽ道理によるへき也、
※『六波羅殿御家訓』より
【意訳】誰かのミスを密告する者がいた時、話を聞いただけでそのまま処罰するようなことがあってはならない。
話の内容について疑いなく思えたとしても、よく心を静めた上で、密告された者に対して事情や理由を尋ねるべきである。
双方の話をよく聞き整理してから、理由を明示した上で判断を下すべきだ。
決して仲がよい悪いで判断せず、言い分が道理に適っているかどうかで決めなければならない。
……まったくその通りとしか言いようがありませんね。
ちなみに讒言とは他人を陥れるための密告すること、正式な訴えであれば讒訴(ざんそ)とも言います。
不思議は現代で言うところの謎や怪現象などとは異なり「思議せず」つまり「考えるまでもない」「疑いもない」という意味です。
人の上に立つ者は、一切の私情を排して公正無私なお裁きをしなければなりません。
このシンプルな道理を守るのがいかに大変で、人は流されやすいものであるか、この条文から重時の苦悩がにじみ出るようですね。