平安時代の貴族たちの日記『御堂関白記』『小右記』『権記』タイトルはどのようにつけられた?【光る君へ】

皆さんは日記をつけていますか?

毎日つけている方や、何かあった日だけつけている方、まったくつけない方など様々でしょう。

また日記の内容も、その日に食べたものや大きな出来事、活動記録など自由に書かれていることと思います。

平安時代の貴族たちも日記をつけることが多く、その内のいくつかが現代に伝わりました。

藤原道長『御堂関白記(みどうかんぱくき)』や藤原実資『小右記(しょうゆうき)』、藤原行成『権記(ごんき)』などが有名ですね。

ところでこれらのタイトルは、どのようにつけられたのでしょうか。今回はこれら三つの日記について、タイトルの由来を紹介したいと思います。

藤原道長『御堂関白記』とは?

長徳元年(995年)から治安元年(1021年)にかけて書かれた日記で、寛弘元年(1004年)より前は断続的に、以降は継続的に書かれています。

日記のタイトルは晩年の道長が法成寺無量寿院を建立して「御堂関白殿」などと呼ばれるようになったのが由来です。

ちなみに道長が関白になったことは一度もありませんが、人々は「あれはもう関白みたいなものだろう」と認識していたのでしょう。

現代でもよくある「いよっ、大統領!」みたいな感覚かも知れません。

他にも『法成寺摂政記』『法成寺入道左大臣記』『御堂御記』『入道殿御日記』『御堂御暦』などと呼ばれました。

2ページ目 藤原実資『小右記』とは?

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