日本を代表する剣豪「宮本武蔵(みやもとむさし)」。
武蔵のエピソードとして最も有名なものといえば巌流島の戦いを挙げる人も多い。「佐々木小次郎(ささきこじろう)」との一騎討ちで有名なこの戦いだが、小次郎には老人説がある。
今回は、武蔵と小次郎が戦ったとされる巌流島の戦いについてご紹介する。
生誕日は互いに不明
宮本武蔵
1582年および1584年生誕説があるが定かでない。出身地にも岡山や兵庫説がある。少年期に徳川家臣である黒田家に仕官し、関ヶ原の戦いに従軍。黒田軍と共に九州への出陣であった可能性がある。
佐々木小次郎
1560〜1590年代の生まれと考えられている。出生地も曖昧であり、九州説や北陸説がある。安芸国(現在の広島県)で勢力を誇っておいた毛利氏に仕官した後、岩流と呼ばれる剣術流派を創始。剣術師範として活躍したという。
巌流島の決闘時の年齢
戦いが行われたのは1612年とされており(諸説あり)、武蔵は28~30歳程度であった可能性が高い。
一方の小次郎だが、北陸生誕説では福井出身が濃厚とされる。剣術を剣豪・富田勢源(とだせいげん)に師事した説があり、勢源は北陸を本拠地とする朝倉氏に仕えていたことから筋が通る。