戦国時代、後継者争いを繰り広げた山城国守護職・畠山(はたけやま)氏を、国人(こくじん。在地の武士)が追放しました。
その後、およそ8年間にわたって住民自治を実現した山城国一揆(やましろのくにいっき)。日本史の授業で習ったとご記憶の方も多いのではないでしょうか。
従来の学説では、新守護の伊勢(いせ)氏に臣従したことで国一揆が終結したとされています。
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しかし今回、山城国一揆を主導したという椿井(つばい)家の書状が発見されたことにより、定説が変わるかも知れません。
果たしてどんな書状だったのでしょうか。
教科書の内容が変わるかも?
椿井家の書状は、奈良県平群町(へぐりまち)教育委員会に所蔵されていた124通です。
それを令和3年(2021年)に馬部隆弘(ばべ たかひろ)中京大学教授が調査。京都市東山区の八坂神社に所蔵されている書状7通と内容が共通していることから本物と判定されたのでした。
書状は山城国一揆を主導したという椿井家の子孫たちが、江戸時代に書状を書き写したものだそうです。
書状には新守護・伊勢氏の着任後も国人たちは一定の勢力を維持したことが記されていました。
中には敵対勢力へ間者(スパイ)を送ったことなどが書かれており、通常ならば記録されない戦時の緊迫感が伝わってきます。
「通常残しておかない戦時の細かい情報伝達で、現代なら(無料通信アプリ)『LINE』で交わすような内輪のやり取りと言える。椿井家が国人たちの中核であったことを示すものとして残されたのでは」
「戦国期の文書がまとまって見つかること自体珍しく、山城国一揆についても新出史料がほとんどなかった。100点以上も出てきたのは奇跡に近い。この古文書で研究は進むだろう」
※報道より、馬部教授のコメント。
また、今回の発見について、呉座勇一(ござ ゆういち)国際日本文化研究センター助教も期待の声を寄せています。
「自治の当事者が書いた点で貴重だ。分析が進んで、彼らの自治運営の内容がより明らかになれば、戦国期の一揆の研究に役立てられる」
「伊勢氏に攻められたことで自治は消滅したと考えられていた。だが、国人の連合が緩やかに続いていたことがわかるので、教科書に書き加えられる可能性もある」
※報道より、呉座助教のコメント。
教科書の内容が変わるかも知れない発見に、各方面から期待の声が高まっているようですね。