いわゆる女流日記文学が流行した平安時代。紫式部や清少納言が乙女の恋模様を綴ってブームを巻き起こすなか、それとは正反対に目まぐるしく変わる歴代彼氏&旦那や昼ドラも逃げ出すリアル下剋上不倫を日記に綴った女流歌人がいました。
「和泉式部」と呼ばれた彼女は、同僚の紫式部に認められるほどの歌人です。
前編となる本記事では、和泉式部の人物像や彼女が記録した恋愛日記の前半部分を紹介。後編では、妻持ちの彼氏にとり行って正妻の座を実質的に奪い取るまでの物語をお届けします。
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紫式部さん、和泉式部や清少納言をボロクソに!『紫式部日記』から垣間見える文通エピソード【光る君へ】
平安時代のメンヘラ「和泉式部」
和泉式部は、日記に綴られた言葉の端々から感情的な人物であったと考えられています。
それは自身が支える時の権力者・藤原道長に浮かれ女とバカにされたとき、「アンタの女でもないのに指摘される筋合いはないわ」と強気に言い返してしまうほど。また、同僚の紫式部からは「歌人としては尊敬できるけれど、素行においては感心できたものではない」と批評されています。
そんな和泉式部は恋多き女性として有名な人物で、色恋事情に関しておおらかな当時でも看過できないと成敗されてしまうほどの問題児でした。彼女がお付き合いした男性はイケメンから権力者まで様々で、一度好きになってしまうと、危険な恋でもお構いなく猪突猛進というのが彼女のルーティーンだったようです。