「光る君へ」の清少納言(ききょう)実はすでに人妻で子供もいた!息子・橘則長はどんな人物?その生涯をたどる

まひろ(紫式部)とは奇妙?なご縁でしばしば顔を合わせる、ききょう(清少納言)。

打毬の会ではF4の藤原斉信といい感じでしたが、この時点で彼女は人妻、何なら息子が生まれていました。

さて、この息子はどんな人物で、どんな活躍をするのでしょうか。

という訳で今回は、清少納言の息子・橘則長(たちばなの のりなが)を紹介。NHK大河ドラマ「光る君へ」には出番があるのか、気になりますね。

※合わせて読みたい:

実際の清少納言との関係は?イケメン平安貴族「F4」のひとり藤原斉信はやっぱりモテモテだった?【光る君へ】

2024年の大河ドラマ『光る君へ』にて、はんにゃ.の金田哲さんが演じているのが藤原斉信(ふじわらのただのぶ)です。彼を含む4人の貴族たち(藤原道長・藤原公任・藤原行成)はF4とも呼ばれ、話題を…

母の才知を受け継ぎ、実務面を支えた能吏

橘則長は天元5年(982年)、清少納言とその先夫・橘則光(のりみつ)の間に誕生しました。

大河ドラマで言えば第1回放送から第2回放送の間ですね。

異母兄弟には橘季通(すえみち)・橘光朝(みつとも)・橘好任(よしとう)らがいます。

母の才知を受け継いだ(父はどちらかと言えば無骨な人物でした)則長は、若くして文章生(漢学専攻学生。進士とも)となり、やがて讃岐掾(さぬきのじょう)に任官しました。

讃岐掾とは現代の香川県に当たる地域の国司。その三等官(じょう)です。

県知事を守(かみ。一等官)、副知事を介(すけ。二等官)とすれば、掾は部長クラスでしょうか。

やがて寛仁元年(1017年)に天皇陛下の側近見習いである非蔵人(ひくろうど)となります。

熱心な働きぶりが認められたか、治安元年(1021年)には六位蔵人となりました。

後に図書権助(ずしょごんのすけ。文書管理部署の副官)や修理亮(すりのすけ。営繕部署の副官)、式部丞(しきぶのじょう。官僚養成所の幹部)などを兼任します。

まさに縁の下の力持ち。華やかさには欠けるけど、優秀なればこそ、こういう実務的な部署で重宝されたのでしょうね。

そして万寿元年(1024年)に晴れて従五位下に叙せられ、殿上人(てんじょうびと)の仲間入りを果たしたのでした。時に43歳。

殿上人とは代理に昇殿できる身分を指し、五位以上の位階が求められます。ただし蔵人らは天皇陛下にお仕えする都合上、六位以下でも昇殿していました。

長元6年(1033年)には越中守に任官。現代の富山県に当たる国の長官ですね。

きっと意気揚々と赴任したことでしょうが、翌長元7年(1034年)4月に現地で卒去してしまいました。享年53歳。

3ページ目 橘則長の略年表を紹介

次のページ

この記事の画像一覧

シェアする

モバイルバージョンを終了