神奈川県横浜市の三大名所と言えば、中華街・みなとみらい・赤レンガではないでしょうか(諸説あり)。
その横浜中華街の中心地に鎮座する関帝廟(かんていびょう)には、商売の神様として有名な関羽(かん う。字は雲長)が祀られています。
関羽は古代中国に実在した武将で、信義に厚かった事から、死後に商売の神様「関聖帝君(かんせいていくん。略して関帝様)」となったのでした。
商売には何より信義が大切(切実)ですからね。現代でも、中国人のコミュニティには、たいてい関帝廟が祀られています。
さて、そんな横浜関帝廟はいつから建っているのでしょうか。今回は横浜関帝廟の歴史をたどってみたいと思います。
横浜関帝廟の歴史は幕末から
横浜関帝廟は明治4年(1871年)に建立されました。ただしその前身となる小さな祠は文久2年(1862年)から建っていたそうです。
横浜中華街そのものは安政6年(1859年)の横浜開港にともなってできた外国人居留地が原型と言われ、西欧列強に雇われていた清国人がコミュニティを形成していきます。
異郷の地に生きる彼らの精神的支柱として、関帝廟は大きな役割を担ったことでしょう。
それが大正12年(1923年)の関東大震災で倒壊してしまいます。やがて再建されたものの、今度は昭和20年(1945年)の横浜大空襲(米軍による無差別爆撃)によって再び焼失してしまったのでした。
再建された三代目の関帝廟は昭和61年(1986年)の不審火によって焼失してしまいます。
それでも平成2年(1990年)に四代目関帝廟が復活。多くの人々から崇敬を集めて今日に至るのです。