トマトケチャップを創り出した日本人「蟹江一太郎」〜日本人の嗜好に進化したトマトケチャップの歴史

湯本泰隆

トマトは南米のアンデス高原が原産で、16世紀にヨーロッパに伝えられましたが、初めは観賞用の植物として広まりました。それが食用として栽培されるようになるのは、18世紀半ばごろだといわれています。

日本には江戸時代中期、ポルトガル人によってトマトがもたらされましたが、やはりそれも観賞用として、でした。

明治時代になると、アメリカやイギリスから、多くの品種が食用として輸入されるようになります。

1872(明治5)年頃の雑誌には、トマトの食べ方が紹介されてたりしましたが、なかなか独特な食べ方だったようです。真っ赤な見た目も相まって、実はこの頃、トマトはそんなに普及しなかったようです。

そんな中、明治時代にアメリカから帰国した大藤松五郎という人物が、帰国後東京でトマトの缶詰加工を試みました。ただ、当時作られたトマト缶はすぐに腐るという欠点があったため、トマトの加工は難しいと考えられるようになりました。

その結果、トマトそのものが日本の食卓に広まるのは、ようやく大正時代になってからのことです。

3ページ目 日本独自のトマトケチャップを発明

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