日本人は昔から「万博」好き!その原点は江戸時代、平賀源内が作った博覧会ブームにあった

湯本泰隆

メディアでは、2025年に開催予定の日本国際博覧会(略称「大阪・関西万博」)を巡る話題で盛り上がっていますが、実は明治時代は、今以上の博覧会ラッシュでした。

特に、幕末から1897(明治30)年までに、東京で開かれた大小の博覧会は、実に70を数えるほどあります。特に第一回内国勧業博覧会が開かれた上野は、続く第二回、第三回を含め、物産展や品評会などのイベントが目白押しだったようです。

欧米の博覧会は、1761年、ロンドン王立美術工業商業振興会によって開かれたものが、初めてのものです。その後、1928年にパリで「国際博覧会に関する条約」が調印されてから、万国博覧会が盛んになり、各国で開催されました。

この博覧会ラッシュ、実は江戸後期には、すでにその前兆がありました。

高度な精神文化が成熟した江戸では、物産会や薬品会などといったサークル活動がたびたび行われ、大勢の観客が押し寄せる様を、当時の儒学者・寺門静軒が、著書『江戸繁昌記』の中で、「珍品七千種を集めて展示する一大奇怪」と評しています。

そのきっかけを作ったのは、平賀源内(ひらがげんない)です。

3ページ目 日本人は昔から万博好き

次のページ

この記事の画像一覧

シェアする

モバイルバージョンを終了