人質の身分から天下人となり、泰平の世を築き上げた「我らが神の君」徳川家康。
その活躍は日本のみならず、世界史上でも有数の偉業と言えますが、それは決して一人で成し遂げたものではありません。
今回は家康に仕えた三河武士の一人・大久保忠豊を紹介。大久保忠益の兄であり、大久保忠世の従兄にあたるその生涯をたどってみたいと思います。
18歳の初陣から、24年間の戦歴
大久保忠豊は天文12年(1543年)、大久保忠俊の四男として誕生しました。母親は不明、元服して喜六郎と名乗ります。
若い頃から家康(松平元康)に仕え、永禄3年(1560年)に水野信元と争った石ヶ瀬合戦では、敵の首級を奪って初陣を飾りました。
また同年、三河国刈屋の合戦でも十八町畷(なわて)で敵を討ち取る武功を立てています。18歳から順調な滑り出しですね。
やがて永禄6年(1563年)に三河一向一揆が起こると、父や兄たちと共に上和田の砦を守備。死に物狂いで大暴れしました。
続いて永禄7年(1564年)に東三河へ遠征し、御油城(ごゆじょう)攻めに臨んでは敵と鎗を合わせてその首級を上げます。
同じ年に行われた片坂の合戦でも武勲を立てたそうですが、何をしたのか詳しいことはよく分かりません。
その後も永禄12年(1569年)遠江国天王山の合戦、元亀元年(1570年)の姉川合戦など、数々の戦場をくぐり抜けたのでした。