慶長5年(1600)、「東海の関ヶ原」と呼ばれた安濃津城の戦いにて、夫の窮地を救った勇猛果敢な女性がいました。
その人物は富田信高(とみた-のぶたか)の妻。今回は信高の妻が見せた男勝りの勇姿を紹介します。
正体不明な女性
信高の妻は、名前や生年が不明であり判明していることとして、父親が宇喜多忠家で夫が富田信高ということです。
また、夫の信高は父の富田一白が織田信長、豊臣秀吉と仕えていたこともあり、自身も父に同じく秀吉に仕官。これといった活躍はしておりませんが、一白が秀吉の側近だったこともあり、厚遇されていました。
そして、慶長4年(1599)に一白の隠居に伴い、一白が城主だった安濃津城と家督を継承しました。
勃発!安濃津城の戦い
慶長5年(1600)、徳川家康が上杉討伐のため、会津へ軍を向けると信高も従軍。300人の兵を率いて遠征しました。
途中、石田三成が挙兵すると、東軍として西軍を迎え撃つことを誓い、安濃津城へ戻りました。
信高は城の防備を固めていましたが、毛利秀元率いる3万の大軍が迫っていることの報告を受けます。
対する信高が率いる兵数は、援軍として合流した分部光嘉(わけべ-みつよし)の兵を含めて1700人とあまりにも寡兵。
そのため、信高は家康に救援に来てもらうよう要請を出します。しかし、西軍によって阻まれてしまい、信高は約17倍近くの兵数差での籠城戦を強いられました。