「松花堂弁当」の「松花堂」って、実は人の名前、そして起源もそんなに古くなかった!?

湯本泰隆

「松花堂弁当」といえば、中に十字形の仕切りがあり、縁の高いかぶせ蓋がある弁当のことをいいますが、この仕切りは、異なる種類の料理を美しく配置できるようになっており、見た目も実用性も兼ね備えています。外国の方から見てても、その形状は独特で、興味をそそる造りになっています。

実は、この松花堂弁当の“松花堂‟とは、れっきとした人の名前で、江戸時代初期の僧侶・松花堂昭乗という人物が由来になっています。昭乗は1584年(天正12年)から1639年(寛永16年)にかけて活動した石清水八幡宮の社僧で、書道や絵画などに長けていた人物だったそうです。特に書は、瀧本流・松花堂流という書風を確立し、近衛信尹(このえのぶただ)・本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)と並んで、「寛永の三筆」と称されています。

昭乗は、普段から農家で種入れとして使用していた容器からインスパイアを受け、独特な形状の器を作り、絵具箱や煙草盆として使用していました。

その後、昭乗の時代から数百年たった1933年頃、大阪にある貴志彌右衛門の邸内の茶室「松花堂」で、茶事が開催された際、彌右衛門は後に日本屈指の名料亭である「吉兆」の創始者となる湯木貞一に、この特別な器を使って茶懐石の弁当を作るように指示しました。こうして完成したのが、「松花堂弁当」です。

松花堂弁当は、料理同士が互いに味や匂いを移さない利点があると考えられ、当時としては画期的な弁当として、爆発的に人気が出たようです。その後、毎日新聞が「吉兆前菜」として紹介したことで、この弁当の名前が広まりました。湯木は、松花堂弁当の需要が高まり、依頼があるたびに貴志家への感謝を示し、挨拶を怠らなかったといわれています。

こうして、現在では松花堂弁当が、現代の日本にすっかりと根付き、今では特別なときでなくても、普通に使われるようになっています。

「弁当の容器にも歴史あり」ですね!

参考

“松花堂弁当の起源″ 「松花堂庭園・美術館」

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