海難審判における結論
【前編】では、紫雲丸事故が発生した経緯を説明しました。
瀬戸内海に橋を!168名が犠牲になった「五大事故」のひとつ・紫雲丸事故とは?【前編】
霧の瀬戸内海で起きた惨劇「紫雲丸事故」は1955(昭和30)年5月11日に瀬戸内海で起きた船舶の衝突・沈没事故で、子供を含む168名が亡くなっています。「国鉄戦後五大事故」の一つとしても有名です。…
ここで、一度海難審判と刑事裁判の違いを押さえておきましょう。海難審判は、海で発生した事故について、責任がある者(紫雲丸事故の場合は両船の船長)に懲戒処分を行うことで海上交通の安全確保につなげようという制度です。
一方の刑事裁判は、被告人である個人に対して刑法などを適用し、刑事責任を問うものです。双方は全く異なる手続きと目的で運用されており、事故の内容によっては海難審判と刑事裁判の両方で裁かれることになります。
さて、当時の海難審判理事所は、紫雲丸事故が発生するとすぐさま職員を高松へ派遣し、第三宇高丸の船体検査と、同船の船長をはじめとする5名の乗組員からの事情聴取などを行いました。
そうして事故からひと月が経った6月11日に審判がスタート。結論を先に言えば、「事故が発生したのは、紫雲丸の船長と第三宇高丸の船長の過失原因である」という裁決に達しています。
この事故の最大の謎は、衝突直前、なぜ紫雲丸は突然左に反転したのかという点でした。しかしこれは船長が亡くなっているので確かめようがなく、さしあたりその直前にレーダーで第三宇高丸の存在が確認されたので、これを避けようとしたのではないかと見られています。