織田信長――2023年の大河ドラマ『どうする家康』で大きな存在感を放った彼ですが、他にもさまざまな大河ドラマでそうそうたる役者がその役を演じてきました。
歴史を少しでも習ったことがあれば、恐らく誰しもが知っている信長ですが、その弟・織田有楽斎(おだうらくさい)の存在はあまり知られていないのではないでしょうか?
「逃げの有楽」などと揶揄されることもある彼ですが、実はさまざまな功績を残した人物でもあります。そこで今回の記事では、そんな織田有楽斎の人生に迫ってみたいと思います。
※なお、有楽斎は幼名を源五郎、名前を長益といいます。有楽斎は剃髪した後の号ですが、この記事では有楽斎で表記を統一します。
織田信長の父・織田信秀の11男として誕生
織田有楽斎は、織田信秀の11男として天文16年(1547年)に誕生しました。兄の信長とは13歳離れていました。母親については信秀の側室の一人と言われていますが、はっきりとはわかっていません。
ちなみに、織田信秀は子だくさんで、息子は12人、娘は10人いました。
若い頃の戦歴はあまり残っていない
織田有楽斎の初陣は美濃攻めの「稲葉山城の戦い」の前哨戦であった「森部の戦い」だと言われています。ただし、病弱だったことから、あまり戦には参加していなかったという説もあります。
一方、有楽斎は学問や教養に強く、コミュニケーション能力にも長けていたことから、交渉役などで強みを発揮していきます。