徳川家康の終の棲家「駿府城」に伝わる「異形のモノ」と七不思議【後編】

高野晃彰

徳川家康が、晩年を過ごした「駿府城」。その駿府城には不思議な話がいくつか伝わっています。前編では突然妖怪とも宇宙人ともつかない「異形のモノ」が出現したという、徳川幕府の公式記録にも記されている伝承をご紹介しました。

徳川家康の終の棲家「駿府城」に伝わる「異形のモノ」と七不思議【前編】

徳川家康が、晩年(66〜75歳)を過ごした「駿府城」。現在は城があった場所は「駿府城公園」として整備されています。近年の発掘調査では「天守台」の大きさが日本最大だったということが判明しました。…

今回は、前編に続き異形のモノの正体や駿府城の七不思議をご紹介します。

徳川幕府の公式記録「徳川実紀」にも記載が

夜空に突然、四角い月が現れ人々を驚かせた日から1ヶ月後。駿府城の庭に突然現れた、手足の指を持たない子どものような大きさの肉の塊「肉人」。

漢学者・秦鼎(はなかなえ)の随筆『一宵話』によれば、その正体は「白澤図」という書物に書いてある「封(ほう)」というもので、食べれば権力が増し武力に優れる「仙薬」だという説。

江戸時代の浮世絵師・鳥山石燕が描いた「画図百鬼夜行」にも登場する妖怪「ぬっぺふほふ」という説。

さらに、徳川幕府の公式記録「徳川実紀」によれば、「手足の指ない浮浪者」という説。

また、実はただの侵入者であったが、場内に侵入させてしまったという警護の失敗をそのまま伝えるのも憚られるので「異形のモノ」扱いにしたという説もあります。

今となっては真実は分かりませんが、多くの人が目撃したという話が伝わっているので、本当にあったことなのかもしれません。駿府城公園を散歩する際には、ちょっとそんな不思議話も思い出してみてください。

3ページ目 駿府城内の七不思議とは

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