朝ドラ「らんまん」で田中哲司演じる徳永助教授のモデル!日本植物学の発展に尽力した松村任三の生涯③

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矢田部良吉の助手として東京大学に奉職する

東京開成学校を去った任三に、思いがけない出会いがありました。

留学帰りで東京開成学校の教授であった矢田部良吉が助手になるように声をかけてきたのです。実はこの矢田部良吉、朝ドラの田邊教授のモデルとなった人物でした。

明治101877)年、任三は東京大学小石川植物園に就職。同時に矢田部良吉の助手として働き始めます。

法学を専攻していた任三ですが、このときから植物学だけでなく、他の学問とも触れ合うこととなります。

同年6月には、東京大学法理文学部教授となる、エドワード・S・モースのもとで大森貝塚の発掘に従事。これは日本における初めての発掘調査でした。

明治151882)年には、東京植物学会の設立にも奔走。矢田部の腹心として活動しています。

翌明治161883)年には、東京大学の助教授に就任。同年に『植物採集及び乾腊法』を発表するなど、植物学者として歩みを確実にしていました。

牧野富太郎との出会い

植物学に携わる任三にとって、人生を変える出会いが訪れます。

明治171884)年、任三は『日本植物学名彙』と『琉球植物説』を発表するなど植物学界の中でも注目される存在となっていました。

そんな中、改組された帝国大学理科大学(東京大学理学部)の植物学教室に牧野富太郎が在野の研究者として出入りを許されています。

朝ドラでは、主人公の出入りに徳永助教授が反対するシーンがありましたね。実際のところはわかりませんが、やがて任三は牧野と深く関わることとなります。

2ページ目 ドイツ留学で植物学を専門的に学ぶ

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