江戸時代の武家の結婚は簡単じゃなかった。幕府の許可も必要だった

雲川ゆず

みなさんは、江戸時代の武士たちの結婚について、どのようなイメージを持っているでしょうか?「士農工商」の身分制度が厳しく存在した江戸時代、そのトップに立つ武士たちは結婚も何の障壁や問題もなくできたのでは?と思うかもしれません。

しかし、調べてみると、結婚においても武家ならではの大変さがありました。

結婚相手は親が決める!でもそれだけじゃない

今でこそ「親が決めた相手と結婚する」というのはめずらしくなりましたが、江戸時代においてはほとんどがそうでした。特に武家は婚姻が非常に重要であったため、親の命令には逆らえませんでした。

また、親ではなく主君が相手を決めることも。家の格のつり合いや派閥などから結婚相手が決められていたといいます。ちなみに、よくわからない相手と結婚、ということもあり、結婚するとなって初めて相手の顔を見た、というケースもあったようです。

しかし、お互いの親が合意すればOK、というわけにはいきませんでした。藩庁に届け出をして、そこから許可をもらわなければなりません。

そして、大名や旗本クラスになると、幕府からの許可が必要でした。これは、婚姻によって政治的な策略や同盟関係を強めることを幕府が避けたかったからだと言われています。特に、大名が公家と結びつくのは厳しく禁じられました。

江戸幕府の二代将軍・徳川秀忠が元和元年(1615年)に出した『武家諸法度』では、大名以下の武士の無断結婚が禁じられ、身分違いの結婚も禁じられました。

持参金が魅力!?身分を超えた結婚はワンクッションおいてから

実は下級武士たちは農民の娘や裕福な商人の娘を迎えることもありました。それは、彼女たちの持参金が、財政状況の厳しい武家にとっては魅力的だったから。しかし、上記の通り身分違いの結婚は禁じられていましたので、まずは娘を武家の養女とし、それから嫁に迎えました。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

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