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【朝ドラ らんまん】要潤演じる田邊彰久のモデル!東京大学理学部の初代教授・矢田部良吉の生涯①
外務省の役人として渡米とコーネル大学への入学
教員となった良吉ですが、決して自身の学識に満足はしていませんでした。より一層研鑽を積むべく、行動に出ていきます。
明治3(1870)年、外務省小弁務使・森有礼が駐米公使としてアメリカに赴任。良吉は森に随行して渡米しました。
良吉は英語の能力を買われたようで、外務省の役人という立場を得て渡米を果たしています。しかし良吉の本当の目的は、現地での勉強にありました。
良吉はアメリカの地で受験勉強に精励。森有礼のそばで働きながらですから、かなり大変だったと思われます。
明治4(1871)年には、良吉は現地でウェルギリウスの『アエネーイス』の英訳本を購入。西洋の古典文学を学ぶなど貪欲に教養を取り入れています。
明治5(1872)年、勉強の甲斐もあって、良吉はコーネル大学に合格。晴れて大学生となりました。
生涯をかけた、植物学との出会い
良吉が入学したコーネル大学は、世界有数の名門大学です。
現代ではノーベル賞において、全ての部門で受賞者を輩出。世界でも最高水準の教育と研究を行う学術機関となっています。
良吉は日本人で初めてとなる、コーネル大学への入学者となったのでした。
入学してからの良吉は、語学だけでなく歴史学や数学、自然科学を学んでいくのです。
特に得意としていたのが数学だったようで、実際に明治7(1874)年ごろ受講した、良吉による数学の受講ノートが残されています。
数多くの学問に触れる中、特に良吉が心惹かれたのが植物学という学問でした。
明治8(1875)年ごろ、良吉はコーネル大学で「植物生理学」を受講。初めて植物学に触れ、生涯の学問としていきます。
良吉は大学での講義だけに飽き足らず、臨海実験所でのサマースクールにも参加。卒業論文のテーマには「東海岸の海藻」を選ぶほどでした。
しかも在籍中の良吉は、学業でも優秀な成績を修めたと伝わります。
明治9(1876)年、卒業祝賀会で良吉は「エッセイスト」に選抜。作文に優れた者として認識されていたようです。