色々なマナーや習慣があった、平安時代の恋愛の風習「後朝(きぬぎぬ)の別れ」とは?

雲川ゆず

今回の記事でご紹介するのは、平安時代の恋愛の風習のひとつ「後朝(きぬぎぬ)」というものです。なんとなく言葉は聞いたことがあっても、いまいちその意味を理解していないという方も多いのではないでしょうか。

今も昔も、誰かを好きになる気持ちは同じ。しかし、平安時代には今から考えると驚くようなこともたくさんあります。

「後朝」には、いったいどのようなマナーがあったのでしょうか?

平安時代の恋愛とは?

現代の視点から見るとびっくりしてしまうかもしれませんが、平安時代の恋愛は「妻問婚(つまどいこん)」という通い婚(かよいこん)が一般的。男女が一緒に暮らすのではなく、日が暮れたころ男性が女性のもとを訪れ、一夜をともにし、朝になったら男性はまた自分の家へ帰宅しなければなりませんでした。

この「一夜をともにした男女が翌朝別れる」ことを「後朝(後朝の別れ)」と言いました。

「後朝(後朝の別れ)」にはマナーが色々

まず、いくら好きな人とずっと一緒にいたいからといって、長居はできませんでした。翌朝、まだ空が暗いころに男性は家へ帰っていました。また、男性は家に帰ったあともやることがあります。それは女性に文を送るということ。これは「後朝の文」と呼ばれ、そこに添えられている歌を「後朝の歌」と言います。

「後朝の文」はとても重要なものと考えられていたため、女性もそれを待っています。女性をいつまでも待たせるわけにはいきませんから、男性もなるべく早めにこの文を出すのがマナーだったとか。

2ページ目 百人一首にも、源氏物語にもみられる後朝の歌

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