天守に障壁画…豪華絢爛な文化が花開く
いわゆる安土・桃山文化は皆さんご存知だと思います。織田信長の台頭から、豊臣秀吉が天下統一事業を推し進めていった16世紀後半に花開いた文化のことです。
この安土・桃山文化はとにかく豪華絢爛さが特徴的です。その最も代表的なものとしては、各地で建設された城郭が挙げられるでしょう。周知のごとく、安土城には日本史上初めて、本格的な天守が造られました。
織田信長が発明した、このような高層の天守は権力のシンボルとなり秀吉の時代に全国へと広まっていきます。秀吉が築いた大坂城とあわせて、安土・桃山時代の壮大な建築文化の代表格といえるでしょう。
また、城郭において発展したのは建築様式だけではなく、その内部の障壁画や屏風絵も同様でした。
例えば、当時は室町幕府の御用絵師だった狩野派が活躍した時代で、特に信長・秀吉にその才能を認められた狩野永徳は、大坂城・安土城・聚楽第などの障壁画を描いています。有名な檜図屏風などは、地が金箔でできており構図も豪快、描線も力強く、この時代を代表する作品です。
また戦国大名は、城郭の発展とあわせて、書院造の庭園を競うように作っていきます。書院というのは武家の住宅のことで、そこに座って鑑賞することを目的とした庭なので書院造と呼ばれるようになりました。