天下布武を掲げて戦国乱世を戦い抜いた織田信長。類まれなる英傑として知られていますが、その資質は兄弟間でムラがあったようです。
今回の主人公は信長の弟・織田信照(おだ のぶてる)。『張州府志』によれば「織田越中者天性魯鈍人也(織田越中守=信照は生まれつき魯鈍[ろどん…おろかでにぶいこと]である)」などと酷評されています。
果たして彼は戦国乱世を生き残れたのか、ちょっと心配になってきました。さっそくその生涯をたどってみましょう。
尾張一の美青年だったかも?
織田信照は天文15年(1546年)、織田信秀(演:藤岡弘、)の十男として生まれました。
母親は尾張熱田の商家から連れてきた娘(中根氏)、『尾張誌』によれば彼女は尾張国で一番の美人(尾張第一の美麗)だったそうです。
男児は何かと母親に似る(ただし例外も多数)と言いますから、さぞ美青年に成長しただろうと期待されます。
しかしあまりの魯鈍さゆえか、ほとんど引きこもって過ごしたそうです。
後に母の伝手で中根忠貞(なかね たださだ)に養子入り、中根信照とか織田中根と呼ばれました。
信長の在世中これといった活動はなく、目立つのは天正9年(1581年)に京都で行われた馬揃に参加したくらい。
兄の織田長益(ながます。有楽斎)、織田長利(ながとし。又十郎)はもちろん、甥の織田信弌(のぶかず。本橋勘七郎)よりも格下として名を連ねています。