1日の始まりといえば朝ですよね。朝起きて太陽に照らされた窓の外を見ると「よし、今日も1日頑張るぞ!」という気持ちになります。
逆に夜空に浮かぶお月様を見ていると「今日も1日ごくろうさま」という気持ちになります。
私たちの1日は太陽が中心です。
カレンダーも今は太陽暦を使用したものになっていますから、太陽が中心の生活というのはごくごく自然だと思っています。
しかし、そうではない時代も、確かにあったようです。
月が連れてくる新しい1日
平安時代の頃、1日の始まりは夜だと考えられていたのではないか、という説があります。
当時の暦は太陰暦でしたから時間の経過は月を中心に考えられていました。
月の満ち欠けで暦を作っていたのです。
そういった文化に生きていれば、当然月を見る見方も変わってきます。
そんな月が中心の生活の中で生まれた月の呼び名があります。
例えば、満月から2日目の月を立待月(たちまちづき)と言い、その翌日の月を居待月(いまちづき)、更にその翌日を寝待月(ねまちづき)などと呼びます。
これはそれぞれ、立って待っているうちに出てくる月、立って待つには長いから座って待つ月、座っていても長いから寝ながら待つ月、というような意味合いがあります。
こういった月の名称を知ると、月が出てくるのは、その時代の人々にとってとても待ち遠しいことだったのかな、とも思えてきます。
月を待ち遠しく感じるのは、当時の夜が今と比べ物にならないくらい暗かったというのとも関係があるのかもしれません。
平安時代には電気がありませんから、日没を過ぎればどんどん暗くなっていくばかりです。停電の夜にローソクの明かりで過ごしたことがありますが、本当に狭い範囲の手元しか見えませんでした。当時の夜はきっとこの程度の明かりが普通だったのではないでしょうか。
そんな中で月の明かりが頼りだったのかもしれませんね。