がっつりと野心を見せているわけではないけれど、最終的に一番おいしいポジションや結果を得ている、ちゃっかり者。いつの時代にも、生まれ持った美貌や運などで、思いがけず出世していく人たちがいます。
今回ご紹介するのは、そんなちゃっかり者のひとり、「おちょぼ」。のちに「寿福院(じゅふくいん)」とも呼ばれる女性です。今回は、そんな彼女の人生を追ってみたいと思います。
「おちょぼ」の生まれは朝倉家に使える家
おちょぼは、元亀元年(1570年)に朝倉家に使える家臣・上木新兵衛の三女として生まれました。本名は「ちよ」。
彼女が3歳のときに、朝倉家は滅ぼされてしまいます。そして、ちよは7歳のときに府中城にいる利家の正室・まつの侍女として前田家に入りました。「ちよ」から「おちょぼ(ちょぼ)」という名前に改名させられた理由は、前田家六女の千世と音が同じだったからと言われています。
利家の身の回りの世話を務め……
前田利家と彼の正室・まつは夫婦仲が良いというイメージをお持ちの方が多いのではないでしょうか。しかし、時代が時代ですから、利家には側室もいました。そんな彼の側室のひとりとなったのが、「おちょぼ」でした。
そのきっかけは、文禄・慶長の役のときに名護屋城に行っていた利家が、洗濯女を派遣せよ、と命じたことでした。おちょぼは、自ら望んで名護屋城に向かったと言います。洗濯女とは表向きで、実際は利家の夜伽相手をつとめることがその役割でした。このとき利家に見染められ、側室となったのです。
『三壺聞書』や『往々雑記』などでは「おちょぼ」はかなりの美女であったと書かれています。