秀吉VS織田信雄・徳川家康連合軍!
戦国時代、徳川家康と羽柴秀吉の両者が激突したことで有名な小牧・長久手の戦いがあります。この戦いの経緯と、最終的な勝者はどちらだったのかを検証してみましょう。
柴田勝家を始めとする織田の有力武将たちを倒していった羽柴秀吉。自ら統一政権の頂点に立つことを目論み始めたことから、彼は織田信長の遺児である信雄(のぶかつ)と対立するようになります。
そこで信雄は徳川家康に助けを求めるようになり、1584年3月、信雄は秀吉と親しかった三人の家老を殺害。ここで、秀吉との対決姿勢が鮮明になりました。
そこで信雄討伐のために挙兵した秀吉は、まず犬山城を攻め落とします。その近くの羽黒に森長可を配置したことで、家康と信雄の連合軍は羽黒を攻めることになり、長可は打ち破られます。
さて、家康・信雄の連合軍に対して、秀吉は犬山城に入って楽田に着陣します。ここに、小牧の戦いの火ぶたが切って落とされました。
まず秀吉は、家康の本拠である三河を攻めようと考えます。