下剋上の体現者
下剋上という言葉は戦国時代だけで使われていたイメージがありますが、実は大陸由来の大変古い言葉で、6世紀ころの隋の書物『五行大義』にもこの言葉が用いられています。
また日本では、鎌倉時代初期に成立した歴史物語である『水鏡』でも「下剋上のむほん」という言葉が登場しています。
さらに鎌倉時代の僧侶である日蓮は、法華宗(日蓮宗)以外の教えを否定して「天下第一、先代未聞の下剋上」と述べ、法華宗以外は「謀反」と同じ悪いものだと主張しています(『下山御消息』)。
そして『太平記』でも、「君臣を殺し、子父を殺す、力を以て争ふべき時到る故に、下剋上の一端にあり」とあることからも、謀反イコール下剋上と昔から考えられていたことが分かります。
さて、そんな「下剋上」の体現者とまで言われる斎藤道三(さいとうどうさん)ですが、実は彼ののし上がりは、彼個人の単純な下剋上によって可能になったわけではありません。実は彼の国盗りは、親子二代で達成したものであることが現在は明らかになっています。
「油売り」は父親の方
斎藤道三という人物の生涯は伝説的で、油売りという低い身分から国盗りに至ったというドラマ性とダイナミズムによって、多くの人の心をつかんだと言えるでしょう。
しかし実際には、彼の国盗りは、道三が一人で成したものではなく、父の長井新左衛門尉との二代に渡る乗っ取り行為でした。
まずポイントは、歴史上、もともとは油売りの商人だったと言われているのは道三ではなく、長井新左衛門尉の方だったということです。
これは『六角承禎条書写』という文書によって明らかになったことです。道三の父は、最初は油の商人だったのですが、その後武将として仕えることになったのでした。そして、彼の作った地盤を足掛かりに、息子の道三は成り上がっていったのです。