まだ続く争い
【前編】では、明応の政変で最高権力者の座に就いたかと思われた細川政元が命を落とし、彼の養子の澄元と現将軍・前将軍の三つ巴の戦いになったところまで説明しました。
戦国時代は「椅子取りゲーム」から始まった!「明応の政変」後のややこしい争乱まとめ【前編】
最高権力者の三人の養子近年、応仁の乱とは別に、戦国時代が始まるきっかけになったと言われているのが明応の政変と呼ばれるクーデター事件です。[insert_post id=191923]…
この三つ巴の戦いを制したのは、前将軍の足利義稙でした。結果、現将軍の足利義澄は近江へと追われることになり、政元の養子・細川澄元も阿波へ追われていきます。
この事態を受けて、細川政元の養子の一人だった細川高国も将軍に協力します。彼は大内義興とともに幕政を掌握していきました。
しかし争いはまだ終わりません。1518年、政権内部での争いなどもあって大内義興が領国に帰っていったことで、幕府は軍事面での支えを失う形になったのです。
これに乗じたのが、阿波に追われていた細川澄元でした。好機と見た彼は京へと攻め入り、細川高国を追い詰めました。
で、ここで裏切ったのが、将軍の細川義稙です。彼はなんと澄元の味方となったのですが、この争乱では高国が勝利を収めたため、澄元・義稙ともに阿波へ追い払われました。
その結果、細川澄元と足利義稙の二人は、京へ戻ることなく阿波で没します。
これでやっと、細川高国政権が幕政を単独で取り仕切る体制が整ったわけですが、争いはまだ続きます。