拡大する「一向宗」
戦国時代を語る上ではずせないものに、有名な加賀の一向一揆があります。百年にわたり戦国大名たちを脅かした一大勢力で、その詳細を解説します。
戦国時代は浄土真宗が人々の間で急速に広まった時代でした。本願寺がある近畿地方をはじめ、他にも主要な布教先だった東海地方や北陸地方には、特に信徒が多かったといわれています。
下手な忠誠心や利害の一致よりも、こうした宗教心や信仰心の方が、人々に力を与えることもあります。特に当時は権力中枢であるはずの室町幕府が権威と権力を失っていたため、領土の拡大を狙う大名や武将たちの動向に、農民なども対抗する必要がありました。そのために人々は団結しなければならず、精神的な寄る辺が必要だったのです。
そうして、信徒が多い地域の地侍・農民たちは信仰心で団結を深め、各地域で一揆を結成して大名たちに立ち向かっていきました。
本願寺・浄土真宗は別名を一向宗といったことから、こうした一揆のことは全て一向一揆と呼ばれるようになります。
そして全国で結成された一向一揆の中でも、特に1488年に加賀で起こったものは、一揆の継続期間の長さも規模の大きさも最大のものでした。