「鎌倉殿の13人」ばかにするな!坂東武者を奮起させた尼将軍の怒り。第47回放送「ある朝敵、ある演説」振り返り

「お前ら、仲間を差し出してでも助かりたいか。ばかにするな。坂東にそんな卑怯者はいないことを、上皇様に教えてやりなさい!」

尼将軍・政子(演:小池栄子)の演説をまとめると、つまりこういうことです。用意した原稿をおいて自分の言葉で語りかけ、御家人たちの誇りに訴えかける(図らずも)巧みな演出でした。

 

これまで数々の所業ゆえ憎まれ続けてきた執権・北条義時(演:小栗旬)。しかしすべては鎌倉のため、私心なく奉公してきたことが認められて、感涙にむせぶ姿は視聴者の心を打ったことでしょう。

かくして幕を開けた承久の乱。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第47回放送「ある朝敵、ある演説」を今週も振り返っていきましょう。

源頼茂の謀叛がきっかけに

時は承久元年(1219年)7月13日、朝廷で謀叛を起こした源頼茂(演:井上ミョンジュ)。たちまち鎮圧されてしまいましたが、自害に際して火を放ったため内裏が焼失してしまいます。

後鳥羽上皇(演:尾上松也)はただちに再建を決定、その費用負担を全国の武士たちに命じました。

劇中では長沼宗政(演:清水伸)が「最近火事が多い」と訴えており、鎌倉が大変な状況ではそこまで手が回りません(※『吾妻鏡』にそのような記述はないものの、同年4~6月の記述が欠落しており、その時期に火災が多発した設定なのでしょう)。

そこで義時は上皇の要求をつっぱねたものの、鎌倉と朝廷の板挟みとなった武士たちは、次第に心が離れていきます。

目論見どおりに事が進んでご満悦の上皇一派は、着々と義時討伐の準備を始めました。鎌倉との開戦に反対する慈円(演:山寺宏一)を「さ・が・り!」と退けてしまい、ついに承久3年(1221年)5月15日、京都守護であった伊賀光季(いが みつすえ)を討伐。これをもって鎌倉討伐の狼煙としたのでした。

劇中では無防備でいたところを不意討ちしたような演出がされていたものの、実際には後鳥羽上皇からの召喚命令を拒否しているため、攻め込まれる覚悟はしていたはずです(実際『承久記』などでも徹底抗戦しています)。

ちなみに召喚命令に応じてしまった大江親広(おおえ ちかひろ。大江広元の子で光季と同じく京都守護)は、後鳥羽上皇の挙兵に協力するよう誓紙を書かされてしまいました。

光季はこれを察知して命令を拒否、畏れ多くも朝廷の命に背く以上、死ぬ覚悟(と徹底抗戦の備え)を固めていたと考えるのが自然でしょう。

うかうかと討たれてしまった印象を受ける光季の名誉を守るため、書き添えておきます。

5ページ目 伊賀光季の覚悟・京都守護の重責

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