鎌倉殿としてだけでなく、歌人としても活躍した源実朝(みなもとの さねとも)。小倉百人一首では鎌倉右大臣として登場。お正月の風物詩として親しまれています。
世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ
海人の小舟の 綱手かなしも※藤原定家「小倉百人一首」第93番 鎌倉右大臣
【意訳】この無常な世の中で、漁から無事に帰った小舟が綱で引き上げられる平和な日々が、いついつまでも続きますように。
いつも民の幸せを願う優しさと、理想を追求し続けた強い意志に基づく政治姿勢は、今も人々の胸を打ちます。
※従来は執権・北条義時(ほうじょう よしとき)に政治の実権を奪われ、文芸に現実逃避する厭世的な将軍として描かれていた実朝。しかし近年の研究では、政治にも意欲を見せていたことが解明されてきました。
そんな実朝のやさしさは動物たちにも向けられており、今回は『金槐和歌集』より、こんな一首を紹介したいと思います。
子を思う母に感激。しかし人間は……
ものいはぬ よものけたもの すらたにも
あはれなるかなや おやのこをおもふ※源実朝『金槐和歌集』第597番
【意訳】モノを言わない四方(ここでは人間界の四方を取り巻く自然の意)の獣(けだもの)たちであっても、親が子供を思いやり、心を通わせる姿に感動してしまう。
動物が家族や友達の絆を大切にする(※人間と同じく、個体差はある)ことは昔から知られており、実朝は子供を喪った親(恐らく母親)の姿を見たのかも知れません。
例えば狩りに出かけて小鹿を射止め、さぁ持ち帰ろうと思ったら母鹿の視線を感じた……そんなこともあったのでしょう。
動物でさえそうなのに、人間だったらもっと辛いはずです。そう言えば身近なところで、母・政子(まさこ)が実朝の兄である源頼家(よりいえ)を喪っています。
果たして修善寺での暗殺事件は、母による意向も関与していたのだろうか……そんなことを考えてしまったのかも知れません。
言葉を操りながら心は通わず、己が欲望のために肉親同士で殺し合う(※)……そんな人間の宿業に、ほとほと嫌気が差してしまった実朝の顔が目に浮かぶようです。
(※)頼家も頼家で祖父の北条時政(ときまさ)を殺すよう命じているため、一方的にかわいそうな被害者でないところに、時代の厳しさを感じさせます。