日本医学の祖
曲直瀬道三(まなせどうさん)は、戦国時代、あの織田信長をはじめ数々の武将から尊敬され、また多くの歴史上の有名人を診察した名医です。
あまり知名度は高くありませんが日本医学の祖とも呼ばれています。
それまでの日本では僧医といって、医学に関する書物を読める知識を持った僧侶が医者の役割を担っていました。
僧侶という立場は中国にも渡りやすいため、書物や薬を手に入れやすかったのです。
道三ももともとは臨済宗の僧だったといいます。
そんな僧医たちの診察・治療方法は、書物からあてはまる症状を探し出し、そこに記載されている通りの薬の処方を行うというものでした。現代のように、個人の症状や既往歴などを詳しく見ているわけではなかったのです。
道三が画期的だったのは、そんな中で察病弁知(さつびょうべんち)と呼ばれる診察方法を取り入れたことです。
察病弁知は中国の医学の理論体系を基にしたもので、まずは患者を望診したのち、舌診、脈診、腹診を行なってどのような病なのかを見極め、そして薬の処方や治療を行うというやり方です。
今では当たり前の方法ですが、当時の日本では新しいやり方でした。道三が日本医学の祖と呼ばれる理由は、この理論を実践して全国に広めたことにあります。